『いつか晴れた日に君と』(サンプル)


     1

しとしとと冷たい雨が降っている。
街灯が時折ジジッと言う音を立て消えかかり、思い直したようにまた明るくなる。
雨を避けるため、小さな庇の下に佇んでいたクラウドは、雨を透かすように空を見上げた。
どんよりとした雲が、都市の灯りを受けて鈍い赤色に染まっている。
クラウドは、故郷とはまったく違うこの空の色が嫌いだった。
じっと見上げていると、伸ばした首元に冷気が入り込んでくる。
思わずふるりと身を震わせ、薄っぺらいジャケットの襟をかき合せた。
数日間降り続いている雨が、通りのそこここに水たまりを作っている。最近はやけに雨の日が多い。
雨は……嫌いだ。特にこんな風に冷たい冬の雨は。
やっぱり今夜はおとなしく家にいれば良かった――肩をすぼめ帰りかけたとき、通りの向こうから、ばしゃばしゃと水たまりの水を盛大に跳ね飛ばす音が聞こえてきた。
雨の中わざわざ出てきたのに収穫なしというのも悔しい。これでダメだったら、今夜は諦めよう――。
傘も差さずに大きなストライドで駆けて来る人影は、あっという間に大きくなり、危うく通り過ぎそうになって慌てて声を掛けた。
「オニーサン、遊んでいかないか?」
聞いた途端にぴたりと立ち止まり、こちらを振り返ったその顔を見てクラウドは息を飲んだ。
底光りする蒼い瞳――ソルジャーだ。
まずい相手に声をかけてしまった。けれど――
「オレ?」
目を丸くして、親指で自分を指しながら尋ねるソルジャーは、まるで屈託がない。
声をかけておきながら黙り込んだクラウドを怪訝に思ったのだろう、一歩こちらに近寄ってきた。
人違いだとかなんとか、そう言えば済む話だった。それなのに、いつもの調子で話を続けてしまったのは。何故だったのだろう。彼の無邪気そうな表情のせいだったかもしれない。
クラウドは胸の内でため息を吐くと、気を取り直した。
「……うん、どう? 今日は雨降りでさ、安くしとくよ」
「え? ……あー、そういうこと……。悪ィ。オレ、男は興味ないっつーか、そっち系じゃないんだよね」
「……だったら、入れなくていいからさ、その方がこっちも楽だし。気持ち良くしてあげられるよ。目瞑ってれば男だってわかんないし」
背の高いソルジャーは(そう、その男はクラウドよりかなり背が高かった)クスッと笑った。
「そんな困ってんの?」
クラウドは肩をすくめた。
「雨の日って客つかまんないんだ」
「ふーん」
ソルジャーはじっとクラウドの顔を眺めている。
なんだか落ち着かなくなってクラウドは目を逸らした。
「なにか?」
「いやあ、すっげえ好みの顔だと思って」
「……それはどうも」
「女の子だったら惚れてるかも」
「はあ……」
クラウドは曖昧な声を出した。そんなことを言われてもどうしようもないし、嬉しくもない。今必要なのは客だ。
「えーと……じゃ、さ、飲みに行くっていうのは? オレ、これから飲みに行くとこなんだけど、一人だし。一緒にどう?」
クラウドは顔をしかめた。
「……言う相手、間違ってないか?」
「えー? そうかなー?」
悪びれる様子もなく、かりかりと頬を掻いているのを見て、クラウドは諦めた。
「……声かけて悪かった。無理に合わせてくれなくていいから」
「全然無理とかじゃないけど……。そうかあ、ダメかあ……」
クラウドは、もっと何か言いたそうにこちらを見てくるのを遮るように、庇の奥に一歩後ずさった。
「立ってると濡れるから、もう行った方がいいんじゃない?」
「あ、うん……」
それでも、相手はこちらの顔を見たまま、なかなか立ち去ろうとしない。
――変なヤツ。
クラウドとヤりたがる男はいても、寝るのが目的じゃないのに飲みに行こうなんて誘うやつは、まずいない。
「ねえ……、オレたちさ……」
「どっかで会ったことない?とかいうナンパの手口だったらお断り」
まさにそう言おうとしていたセリフをさっくり断ち切られ、ソルジャーは言いかけた形のままぽかんと口を開けた。
「寝たいんだったら、そう言ってくれればいいし、それ以外でナンパはお断り」
相手は苦笑した。
「すっげぇハッキリしてんなー。別にでたらめ言おうってんじゃないんだけど……。ま、いいや。じゃ、今度会ったらナンパはしないけど、今晩は飲みにつきあうっていうのはどう? あ、もちろん時間分のお金は出すからさ」
言ってる意味が良くわからない。男を飲みに誘うのにやけに熱心というか、なぜか引き下がる気がないらしい。
――ヘンなヤツだ。
だが、これ以上雨の中で通りに立っているのはうんざりだったし、ヤらずにお金を貰えて、タダ酒が飲める。こんなおいしい話は、まずあるものじゃない。考えてみれば断る理由はなかった。そんな話を信用する自分も自分だとは思ったが。
「……いいよ」
「おし、商談成立!」
了承した途端にすっと肩に腕を回され、当たり前のように歩き出す様は、相当に遊び慣れている雰囲気があった。
肩を抱かれながら、ちらちらと横顔を盗み見る。
最初から整った顔立ちだとは思ったが、すっと通った高い鼻梁、きりりとした切れ長の瞳、意志の強そうな眉、シャープな顎のライン、それらがひどく端正な横顔を作り出している。ともすればキツい印象を与えそうな顔立ちなのだが、それを愛嬌のある口元が和らげている。なんと言うか、単に顔がいいだけじゃない、感じの良い顔だ。おまけにさっきの笑顔なんか、会ったばかりなのに思わず相手を信用してしまったくらいだ。これが、全部作為があってやってるなら怖ろしいけど、多分違うと思う。根拠は何もないけど。
端正な顔を縁どっているのは、つんつんに立ててあったと思しき黒髪で、この雨で少し勢いを失くしているようだ。けれど、そんな少しだけ乱れた髪が逆に……なんだろう――色気がある?
こっそり観察していると、ソルジャーの唇が前を見たまま笑みの形を作った。
「オレの顔、そんなイイ?」
「は?」
「見惚れてただろ?」
こちらを向いて、またにこりと笑って照れもせず言ってのけるのだが、それがちっとも嫌味にならない。
いつの間にか、食い入るように見つめていたことに気づかされて、クラウドは顔を赤くした。
まあ、見惚れていたと言われればそうなのだが、素直に認めるのは悔しかったので、「別に」と言い放った――が視線を逸らしてしまったあたり、内心を隠し切れなかったかもしれない。
それは、傍らで喉の奥からくくっと笑うような声が聞こえてきたことからも察せられたが、彼はそれ以上は追及してこなかった。






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